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こんにちは。

ブログの真相 という週刊のメルマガを書こうとしているのですが、日刊ヒント をはじめて一番変わったのが、時間の感覚ですね。

それまでは週刊でも書くほうにとっては大変でヒーヒー言ってたんですが、日刊紙をはじめると、一週間前の記事はすでに太古の記憶みたいな感じで、何を書いたのかもうつら覚えという状況です。

インターネットの隆盛で巷の週刊誌が打撃を受けたのがわかりますね。

一週間というのは、情報にとっては途方も無い膨大な時間経過で、今後何かを文字に残すという仕事は、リアルタイムな旬の情報か、資料性があり読み返す材料のようなものに二分されていくしかないんじゃないか、などと思ってしまいます。

ところで、

平氏の起源は、桓武天皇の孫が臣籍降下する際に与えられたのが始まりで、最近の研究では「一世王、二世王が源、三世以降が平」だったということですが、この「平」というのは、当時の都・平安京からとったものと言われています。

平安京は後世においては音読みの「へいあんきょう」と読みますが、当初は多比羅「たいらのみやこ」と訓読みしていました。

日本の地名や氏名というのはこの桓武天皇の時代に「美字」に変えよというお達しがあって、もともとの意味が取れなくなっているものが多いんですが、「群馬」「車」だったんですね。車持の皇子なんていうのも竹取物語に出てきますが^^

ちなにみ源氏の「源」は、鮮卑の拓跋部出身の南涼が滅んで、王家の禿髪氏が北魏に降った時、北魏王家も拓跋氏と同一氏族であったことから元=源氏を与えられたというところから皇別氏族に与えられる姓になったということらしいです。

鮮卑と日本、不思議な因縁ですね^^

多比羅はどうなんでしょうね。

関係ないかもしれませんが、

三重県の答志に美多羅志神社というのがあるのですが、「美」は美称で、「多羅志」は、古代の海人族・帯「タラシ」一族に由来すると言われています。

神功皇后の名は「オキナガタラシヒメ」で、『日本書紀』「神功皇后」の巻に神功皇后が神懸かりして、「新羅を伐採せよ」との神のお告げを聞いたときに、

「貴方は何という神ですか」と聞き返し、伊勢神宮や住吉大社の神の名を告げられた後、「尾田吾田節の淡郡におる神なり」と答えています。

「田節」は、答志の古名で「淡郡」「海の郡」と言うことで、「私は、答志の海にいる神である」ということのようです。

古代の任那周辺には加羅とか多羅とかの小国があったようですが、この多羅もまた、海洋民の国のようです。

平は「無事平安に」という意味とともに「海」にも関係しているかもしれませんね。



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厳島神社の舞楽は日本古来のものだろうか、と思う人は、


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